さへずり草紙NEO

旧はてなダイアリーを引き継いでいます。

「電氣舘のルル」

春先に珍しくサッパリと心地よく目が覚めましたので、広大なお屋敷の曲がりくねつた奥にある奥様の寝室へ朝の御挨拶に参りましたら、奥様は三人のやさ男と丸裸で獣のやうに交はつてゐました。
余りと云へば余りのことに僕は、女中に淹れてもらつた紅茶のお盆を取り落として、ガチャンと音をさせて仕舞ひました。薄作りのスージイクーパアのお椀が砕け散りました。
奥様は一人の男に頭の上で腕を抑へられ、一人の男に乳を吸はれながら、いま一人の男に激しく突かれてガクガクしながら僕を振り向き、快感に声を震はせながら申しました。
「アーラ雪夫さん。おはやう。今朝はとつても晴れ晴れしてどうしたのかしら?」
 さう云ひながらも奥様は丁度いゝ所を突かれたのか、気を失ひさうなお顔で陶然として居られました。僕は心の底から情けないやうな、腹立たしいやうな、湧き起る感情に身体を支配されて声を絞りました。
「おゝゝゝ奥様はあんまり節操がなさ過ぎます。僕の気持ちなんか少しもお考へにならないで、ワアヽヽヽヽ」
 僕は床に泣き崩れました。奥様はガクンガクンと自ら腰を大振りに振りながら、イヤイヤをするやうにおかつぱのさらさらした髪を振り散らして、眉を寄せました。
「わ、わたくし、雪夫さんの為にコンナ苦しい責めを負ふてゐるんですわ。斯うすれば雪夫さんを忘れられるぢやない?わたくし、夜中に雪夫さんが離れて寝てゐるのが寂しくて、それを忘れやうとして頑張つてゐますのよ。おほゝゝゝ。アッ。アー、アアー」
奥様は海老反りになつて、紅唇から断末魔のやうなお声をあげながら気絶してしまはれましたので僕は続きを聞く事が出来ませんでした。奥様の上で汗をかいた男がニヤけて
「この女、ひと晩で二十回も欲しがつたぜ」
と息をフウフウとつきながら云ひました。それまで奥様の乳を吸つてゐた男が
「ドレ。ぢやあ次は俺の番だ。もう四回目だぜ」
と云つて奥様のおみ足の間に這ひました。さうしてチラと振り返へつたのを見たら学校でいつも遊んでゐた同級生でしたので、僕は崖から突き落とされたやうな絶望感に襲はれて、自分でも知らない間にワアヽヽヽヽと叫びながらお屋敷を飛び出して仕舞ひました。知らない男が何人ゐて奥様を抱ゐても僕はまだまだ平気でしたが、自分の知つてゐる人間に抱かれる奥様のお姿に、大切な奥様を寝取られたやうな悲しみと憤怒を覚へたのです。其れは美しい奥様の裏切りのお姿でした。


気がついたら僕はいつも遊びに行く浅草の瓢箪池の藤棚の下で、膝を抱へてボンヤリと通り行く人波を眺めてゐました。瓢箪池にルンペンがザブザブと分け入つて、鯉の餌を手で掬つては口に運んでゐました。僕は其れを見てゐて、ついフラフラと立つと池の中に歩ゐて行きました。編み上げズツクにひたひたと水の染みわたるのが、虎斑の靴下を通して感じられました。
「アーラ。雪夫さんではなくつて?」
僕は自分を知つてゐるらしい声に吃驚して振り向きました。
「まだ春ですワ。行水には早くてよ」
快活な屈託のない声を発してゐたのは、薄手の黒繻子のワンピイスでしなやかなボブを黒くつやゝかに光らせた、美しいモガでした。然し顔に見覚へが無いので痴呆患者のやうにボンヤリしてゐましたら、彼女は畳み掛けるやうにお喋りをしました。
「ホヽヽヽヽ、雪夫さんお驚きになつてゐるワ。さうね、ご存知ないでせうね。妾、モウずつと前から雪夫さんの作文をこつそり読んでゐるのよ。可笑しくつて、あたしお腹を抱へて笑つちやつたワ。」
モガは息を弾ませて一息に喋りました。其れで僕もすこし愉快になつて、涙の乾ゐた顔で藤棚の下の長椅子に並んで座はりました。
「僕の作文が丸で知らないお姉さんの処まで一体何うして流れたんでせう、恥ずかしいや」
モガは手入れの行き届いたシングルボブの髪を舞はせると、僕の鼻先に顔を突き出して、綺麗な二重瞼のパツチリとした眸で見据へました。藤と日光の綾なす影が白い顔にちらちらと漣を立てました。
「妾、ルル子よ。ルルと呼んで頂戴。あたし雪夫さんの奥様よりズツト雪夫さんの事を知つてゐるの。ホラ、いつも妾の手配した特高が雪夫さんに貼りついてゐたの、ご存知なかつたでせう?」
 ルルの指差した先を見ると、お屋敷の厠の汲み取りに毎月来てゐたをぢさんらしい人影がサツと白い藤棚の、水底のやうな光と影の交錯に消へました。
まだ現実離れしてボンヤリした頭でルルを振り返ると、ルルは愉快でたまらなさゝうな表情で悪戯つぽい眸を見開ゐて
「お酒でも一緒にどう?」
と云ひました。

ルルと僕は浅草の仲見世を抜けて、カフヱーに這入りました。カフヱーのドアーを排すると、店内から人いきれと酒とジャズの音響が飛び出して僕たちにぶつかりました。
「雪夫さん、あたし雪夫さんの実物を一度見てみたかつたのヨ。だつてあンまり現実離れした生活をお過ごしなんだもの」
「えゝ奥様が」
僕は、奥様があんなに奔放で激しいんです、と云はうとして言葉に詰まりました。カフヱーの卓に掛かつたサテン織りの布に点々と染みを拵へてしまひました。染みは地中海の地図のやうに広がつてゐました。でも其れで煩い女給が白けて何処かへ散つてしまつたのは好都合でした。
給仕に捧げられて血のやうに深紅のワインが二人の前に来ました。
「雪夫さん乾杯。雪夫さんはこれから新しい人生が拓けるのよ。」
ルルはさう活発に叫ぶと、僕とワイングラスをチンと鳴らして、飲み乾しました。さうしてカフヱーの中央にしつらへてあるステージに駆けあがり、両手で喇叭を拵へました。
「あたし、電気館で唄を歌つていますわ。ジャズ歌手なんですわよ。けふは電気館ぢやないけれど雪夫さんの為にテルミーを歌つてあげませう」
ルルは黒繻子の背中をみせてジャズバンドのお兄さんと何か喋つてゐましたが、直ぐにクルリとこちらに直ると、カフヱーのバンドに乗つて体をスヰングさせながら赤い唇で歌ひました。
 何故、此の胸は斯う淋しい?
 何故、君と逢ふ其の日だけ楽しい?
 何故、別れ路に出る吐息か?
 君よ、答をば、悩む身に與へよ!
僕はスッカリ愉快になつてしまつてステージに駆け寄るとポケットから有りつたけの色とりどりな紙吹雪をつかみ出して、ルルの頭上に投げました。ルルの黒髪にヒラヒラと花びらの散るさまは、丸で映画のやうなので僕は有頂天になりました。
「素的素的。サア飲みませう。日はまだ高いから浅草中の酒場を空にしてやりませう」
「それは無理。」
ルルの手を引つぱつてカフヱーから出ると、外はまだ目に眩しい昼日中でした。さうして気に入つた銘酒屋で徳利を並べてゐたら、あつといふ間に日が傾きました。うそ寒い空を仰ぐと、いつの間にか仁丹塔に三日月が引つ掛かつてゐました。
ルルは艶然と目から笑みをこぼして、海底の生き物のやうに僕の腕に白い腕を絡ませました。


「あたし、雪夫さんに面白い目を見せてあげますことよ」
ほんのりと桃色に上気したルルは、白い襟のついた黒繻子のワンピイスからすんなり伸びた白い腕で僕の首を巻き取ると、電気館の裏手に引つ張り込みました。塵芥箱や壊はれた大道具のガラクタを避けて灰色の扉を開けると、彼女は僕の手をしなやかな腕を伸ばして曳ゐて、真ツ暗な鉄階段をカンカンカンと小刻みに昇つていきました。
「ルルさん僕は如何なるのでせう」
「トテモ愉快なことが起こるの」
ルルが答へたときには、僕はモウ階段を上りつめて、何かに引つ掛かつて、と、と、と、とよろけ走りました。其処は暗い乍らも目を凝らすと、だだつ広いステージのやうでした。
「さうよ、此処は電気館のステージよ。だあれもゐないでせう?」
ルルは酒に酔つた蠱惑的な視線で僕を射抜きました。黒い世界にルルの白い顔と腕と、足だけが浮ゐて、さうしてルルは悪戯つぽくワンピイスの後ろに手を組むで、女学生がよく履いてゐる紐付きの短靴で跳ねるやうにステツプを踏んでゐるので、僕はいたいけな少女と戯れてゐるやうな錯覚にとらはれました。前髪が乱れて額が露はになると、なほのこと無邪気さが増すのです。
ほろ酔ひ気分の僕はツイ大胆になつてルルの柔はらかい頬ぺたを両手で包み込みました。するとルルはツと滑り抜けて、頬の形に包むだ手が残りました。ルルは後ろにゐました。僕はすつかり狩猟心を掻き立てられて、ルルを両手に抱きしめやうと飛びつきましたが、ホヽヽヽヽといふ嬌声だけ残して、ルルは燕のやうにすり抜けました。暗闇で訳が分からないまゝ
「ルルさん」
と呼んで振り返ると、ルルの鼻先がスグ目の前にあつたので仰天しました。その褐色の眸は心なしか潤んでゐるやうに見へました。が、彼女は微笑みをスーと消すと僕の耳に
「奥様よりズットよくしてあげることよ」
と息を吹き込みました。
「デモ目を開けてゐてはいけませんワ。暫く我慢して頂戴」
ルルはワンピイスの帯紐をスルスルと抜くと、僕の目を隠して、きつく縛つてしまひました。さうして、僕のワイシヤツのボタンを上から順々に外すと、バンザイをさせて、シヤツも肌着も脱がされてしまひました。
「あの、ルルさん。これはその」
ルルのくゞもつた笑ひ声とボブの切先と息が耳にさはりました。さうして、ルルはさらにヅボンの釦を丁寧に外すと、下穿と一緒に勢いよく脱がしてしまひました。僕はワクワクして、つい恥づかしい格好のまゝ勢いよく勃起してしまひました。さうして嫌がうへにも暗い暗闇に荒い息を立てゝゐますと、今度は絹摺れの音がさらさらと聞こへました。
「サア雪夫さんはこれから信じられないやうな思ひをなさるに違ひないワ!」

僕は背中に、肉襦袢を通して火照つた肉体の密着する感触を覚へました。さうして後ろからやはらかい掌で陰茎を握られるのを生々しく感じました。
「いいでせう?あとは自分でするのよ」
ルルの囁きが耳に熱く注ぎ込まれました。僕は頭の芯が痺れたやうになつたまゝ、神様を冒涜するやうな振る舞ひにでました。ルルは僕の頭を撫でながら、
「さうよ。あたし、灯りをつけるわ。吃驚なさらないで!あたしの為に勢いのいゝところを見せて頂戴」
僕は息を荒げました。パッと目の前に白い光が満ちるやうな感覚がありました。ルルが僕の首に蛇のやうな柔らかい腕を巻きつけて、囁きました。
「お楽しみはこれからよ。あたし、可愛い雪夫さんに大事なものを上げることにしたのよ」
僕はその言葉に発奮して、おもひがけず勢いよく高ぶりを荒走らせました。
「サア、もう目隠しは要らない」
ルルがスルスル、と僕の目隠しを解きました。

僕の眼の前には、電気館の客席と、息を飲むで僕を注視してゐる満堂の観客がゐました。ルルは朗らかに叫びました。
「皆さん。此れが本当のマスター・オヴ・セレモニイよ!」
観客からまばらに拍手が起こり、それは時を追つて高まりました。
精液の行方は、すぐに知れました。かぶりつきで見てゐた二村定一さんにべつたりとかゝつてゐたからです。二村さんは何んだか嬉しさうにニヤニヤして照れてゐました。
ひときは美しく顔色の冴へわたつたルルは、手にした鞭で観客席を指しました。
「雪夫さん、此れが貴方の面白をかしい人生よ。貴方はもう皆に笑ひの種を撒ゐて期待させ続けることしかできないの。一生、お祭りのやうに踊り続けるのよ!サアッ!」
 サーカス娘のやうな露出的なコスチュームに変身してゐたルルは、髪の切先を躍らせて、鞭を振るひました。ピシッといふ怖い音が床に走りました。
「雪夫さんにはパンピネオと遊んでもらひますことよ。ホヽヽヽヽヽ」
ルルは高笑ふと、紅唇で鋭い口笛をヒユツと吹きました。さうしたら、舞台の袖からシボレー車くらいある大きな虎が飛び出しました。虎はルルの鞭の合図で、長い尻尾をフラリフラリと揺らしながら僕の真ん前に座り込みました。僕は次から次に起こる出来事に、もはや放心状態となつて青ざめたまゝ言葉も失ひました。
「ハヽヽヽ雪夫さんはこれであたしのものね。心を奪つたわ。隷属するのよ。あたしを喜ばせておくれ。サアッ」
「ヒイイッ」
ルルは僕のお尻を鞭で打ちながら、パンピネオの背中に追い上げました。さうして床に鞭を鳴らすと、彼は大きく跳ねながら、舞台をところ狭しと走り回りました。僕は虎から振り落とされないやうに首筋にしがみ付ゐて、ウワアヽヽヽヽと泣き喚きました。

気がつくと、いつの間にか僕の後ろにルルもまたがつて、無邪気に笑つてゐました。臨検席から、居眠りをしてゐたらしい警官がこけつまろびつステージに迫つてゐました。
ルルがひと鞭当てると、虎のパンピネオは黄金色の炎弧を描ゐて花道に軽やかなステップを踏み、浅草の往来に飛び出しました。
「サアこれから陽気な恋の冒険が始まりますことよ!」
天駆ける勢いのパンピネオにつれて、興行街の幟や看板の色が溶けて流れたやうに筋になりました。僕は、ルルと遊園地のメリイゴーラウンドに乗つてゐるやうな、幸福な気持ちになりました。