novel-y
星子さんと僕はふたゝび船の人となつてゐました。アメリカから出航したノルマンディ号は轟々とたゞ一筋に欧州を目指してゐます。ノルマンディ号はツイ去年の一九三五年、フランス・ラインに就航したばかりの最新鋭豪華客船で、其の流線型のフォルムは如何に…
四十二番街には本や映画で知つてゐるだけの有名な劇場が建ち並んでゐます。しかしお昼前のことですから、何処もまだ公演を打つてゐません。 「なあんだ。詰まんない」 星子さんはブロードウェイの舗道に仁王立ちになつてネオン灯の落ちた看板を眺めながら悔…
サヴォイ•ボールルームの外は朝日の眩しい、白茶けた街でした。真紅なボディのブガッティが土埃を巻き上げるやうな爆音をあげてダウンタウン方面へ走り去りました。ボールルームの客なのでせう。 「あれは1936年型のアトランティックといふモデルよ」 星子さ…
「凄いわ!見て御覧なさい」 マンハッタンの街で上空を見上げて星子さんが感嘆の声を漏らしました。彼女が軽く飛び跳ねながら指差す先に、エンパイヤ•ステイト•ビルやクライスラア•ビルといつた摩天楼の天辺すれすれに腹をかすめるやうに、巨大なツェッペリ…
1 或る日、お天気がいゝのでウキウキと気持ちよくなつてお屋敷の長い長い廊下を暑いくらいの陽光に差されながら、タタタタヽヽヽヽと高々とお尻を掲げて雑巾がけしてゐたら、前方からミニ戦車に乗つた星子さんがキュルキュルキュルキュルとやつて来て、砲塔…
お屋敷の広い玄関に流れてゐた元日の朝の静寂(しじま)は、星子の絹を裂くやうな叫び声で鋭く破られました。 「キャアアアーーー」 自分の部屋のベッドで微睡んでゐた僕は仰天して三寸ばかりスプリングの効いたベッドから飛び上がり、取るものも取り敢へず着…
クールフュアステンダム通りは、四月といふのにまだ分厚い外套を着こむだ紳士淑女でごつたがへしてゐました。空気の澄んだ真青な空に赤と白と黒の鉤十字旗がはらはらとはためいて目にも鮮やかでした。通りの街頭ごとに旗が飾してあつて、赤い波が通りの彼方…
赤い翼の航研機はプロペラの軽い振動を機体に伝へて、切れ切れの雲と冴へた青空を只ひたすら西に飛んでゐました。幾つもの計器の針がフラフラと丸い計器盤で踊つてゐます。僕は機内の凄まじい寒さに歯の根も合はず、毛布にくるまつたまゝ、ルルに話しかけま…
夢の中で綺麗な奥様に乗り掛かられて騎馬位で散々に精をやらされてゐましたら、外界からルルに 「雪夫さん、雪夫さん」 と呼ばれて意識がはつきりとし、パッチリと目が覚めました。薄手のレースのカーテンを通して朝日の強烈な光が目を射りました。僕は目を…
1 或る日、お腹がすいたので食堂へ行かうといふ態でお屋敷の一階のサンルームを横切りましたら、いつのもの昼前の習慣でルルがソファにゆつたりと凭れて、冬のあたゝかい日差しを浴びながらフランス製のノートになにやらさらさらと描いてゐました。 「ルル、…
大晦日を部屋に引き籠もつてラヂオの演芸番組を聴いてゐた僕は、ルルの呼ぶ声で階下に降りますと、ルルに「アラ」といふ顔をされました。 「雪夫さん、初詣にはご一緒しないのかしら?」 「僕は其んな楽しい計画は聞いてゐませんが。」 「パンピネオ。雪夫さ…
木曜日の朝、さはやかな青空を余所に昔懐しいお屋敷の自分の部屋で読書を楽しんでゐましたら、一階の奥の風呂とおぼしき辺りからルルが「雪夫さん、雪夫さん」と呼ばはる声がするので、僕はあはてゝ本を傘に伏せて扉を飛び出し、ドタドタと階段を降りました…
或る日、いつものやうにピエルブリヤントの常打ちになつてゐる松竹座の、餘つた楽屋にごろんと横になつてゐたら、掃除のをぢさんに箒の柄でたゝき起こされました。 「小僧、甘い顔してりやあ居ついちまひやがつて。叩き出すからさう思へッ」 僕は柳行李ひと…
1 ヱノケン先生が映画を撮るといふので、僕は小道具を沢山持たされて、沢山のワンサガールと一緒にトラックで砧のPCLスタヂオに運ばれました。スタヂオにはカフヱーの装置が組まれてゐて、綺麗な千川輝美さんやベーちやん先生や女給の役の女優共が、リハーサ…
赤くけぶつた大きな月が、松屋デパートの上にぽっかり浮かんでいました。 窓から入る月の光があんまり眩しいので、僕は支那更紗のカアテンをシャーと閉めて、劇団の雑用に草臥れた体を、給仕室の汚い畳にゴロンと横たへました。僕は二村定一さんの処を追ひ出…
奥様のお屋敷を飛び出した僕は、二村定一さんに誘はれるまゝに、田島町の二村さんの下宿に転がり込むことになりました。ルルは電気館の楽屋で二村さんに 「べーちやんせんせ、この子よろしくね」 と云つて僕を引き渡しながら、紅い唇を舌でちよつと舐めてニ…
春先に珍しくサッパリと心地よく目が覚めましたので、広大なお屋敷の曲がりくねつた奥にある奥様の寝室へ朝の御挨拶に参りましたら、奥様は三人のやさ男と丸裸で獣のやうに交はつてゐました。 余りと云へば余りのことに僕は、女中に淹れてもらつた紅茶のお盆…
腎虚で大人しく寝てゐたら、とてもいやらしい夢を見てしまひました。其れは、奥様と上海旅行をした折に見た抜群に肢体の美しい踊り子マヌエラとそれはそれはいゝ事をする夢で、僕は夢の中でツイ勃起して仕舞ひました。 マヌエラと合体して腰を猛烈に動かして…
何ヶ月か休学する内にお腹の具合も元に戻つたので、僕は久しぶりに学校に通ふやうになりました。いつものやうに教科の予習を自室でしてゐましたら、下の階から奥様が 「雪夫さん、雪夫さん」 と呼ばはりました。僕は背筋がぞくつとして本当は行きたくはなか…
いつも奥様が僕の陰茎を弄ばれて何度も射精させられますので、この二週間ほど下腹がしくしく痛むと思ひましたら、遂に昨日の軍事教練でトーチカに飛び込む途中、フラフラと倒れて仕舞ひました。配属将校の先生にうんと叱られながら担架で医務室に運ばれまし…
七夕様の銀座ライオンで繰り広げられた目くるめく奥様のパアテイーも、モウ半年も前のことになります。僕は其の折り、主賓の秋良楠男さんからパアテイーの様子を詳述するやう慫慂されたのですが、危うく学校の試験をいけなくしさうな夏秋を過しましたので、…
最近になつて奥様と僕はお互いに好きあつてゐることが薄ぼんやりと判つてまゐりましたので、なんとかセツクスをしやうとお屋敷の中を彷徨つたり、大森や新宿辺りの砂風呂旅館をウロウロしたり、浅草の人外魔境を徘徊しました。しかし、いつも挿入の直前にな…
「まあゝ。マドレーヌが死んだのね」 朝食のテエブルで奥様が焼きあがつたばかりのブレツドに無花果のコンフイチユールをたつぷり塗りつけて頬張りながら、詰まらなさゝうに新聞を放り出しました。 「お風呂でモルヒネ中毒で死んださうよ。馬鹿ねえ。」 僕は…
二ヶ月ぶりに帰つたお屋敷のたゝづまひは、壁がくすんで寂しさうでした。僕の書斎の部屋を見上げると、其の窓は別珍のカアテンで分厚く閉ざされてゐました。この静物の風景で、車寄せの中央にある噴水から涼しく舞ふ水だけが、動ゐてゐました。 僕は電鈴を押…
散々な観艦式のあと東京に戻つた僕は何日もお屋敷でボーとうつけのやうに過ごしてゐたので、奥様が心配して武蔵野病院に入院できるやう、僕の知らないうちに手配をして下さいました。さうして突然なんの用捨てもなく、僕の書斎に屈強な男が二人現われました…
瑠智さんと京都で遊んだ次の日は、神戸港へ海軍特別大演習観艦式を見物に参りました。奥様は無類の海軍フアンで、「わたくし若し男だつたら海軍士官になりたいわ」と常々仰つてゐるので、関西旅行の目的のひとつはこの観艦式だつたのです。僕は音楽会で知り…
奥様のお友達が京都にゐらつしやるので、久しぶりに会ひに行かれる奥様に引つ付ゐて、僕も学校の冬期休暇を利用してご一緒することになりました。僕は奥様の計らひで、銀座の紳士服仕立て屋で、初めて外出用のスーツを拵へて頂きました。 「マアすつかり紳士…
お正月に奥様が酔つ払つてお土産にくださつた明日待子の立看板を部屋に立てゝ毎日眺めてゐましたら、彼女が出演してゐる新宿のムーランルーヂユに猛烈に行きたくなりました。そこで学校の先生などに見つからないやうに下男から使ひ走りの丁稚の服を貸して貰…
前の夜の雪が庭園のヒマラヤ杉からザザーと滑り落ちる音を聴きながら、雛鳥のパテーと窯から出たばかりの香ばしいブレツドと目玉焼きとオレンヂの実で頂く英国風の朝食は如何にも冬のお屋敷の風物らしく、僕は好きです。それで奥様にお早うを云つて珈琲と朝…
お屋敷の広い庭が見渡すかぎり白銀の雪景色になると、毎年、下男の蓑吉が雪達磨で裸婦像を器用に拵へて庭園に林立させます。なんでも蓑吉は若いころ東京美術学校で高村光雲の授業を受けたとかで、ミロのヴヰナスや阿部定の全身をそれは美しく雪から削り上げ…