さへずり草紙NEO

旧はてなダイアリーを引き継いでいます。

摩天楼の星子 2

 サヴォイ•ボールルームの外は朝日の眩しい、白茶けた街でした。真紅なボディのブガッティが土埃を巻き上げるやうな爆音をあげてダウンタウン方面へ走り去りました。ボールルームの客なのでせう。
「あれは1936年型のアトランティックといふモデルよ」
 星子さんが眠さうな声で車を見送りました。
アメリカだつてまだ不景気の最中には違ひないから、あんなフランスの高級車を走らせるのは相当な金満家ね」
「へえ、星子さん詳しいんだなあ」
「それほどでもないわね」
 僕たちはお腹が空いたので食べ物屋を探しながらウロウロと右往左往しながらマンハッタンを下りました。するとアッパーイーストサイドの美術館があると思はれる辺りに美味さうな匂ひを立てゝゐる小さな店がありました。
「これは何でせう。」
「パイヤキングといふお店らしいわ。ホットドッグのテイクアウトね」
「ホットドッグといふものは初めて食べるよ」
 星子さんはフヽと笑みました。
「私は銀座で食べたことあるわ。コカコーラといふジュースと一緒に食べるのよ。もう一寸したら…四年後の東京オリンピックになつたら日本でも流行するかも。」
「へえゝ、ぢやあ此れを食べませう!」
ホットドッグは細長いパンに長くてむきむきと野太い先太りのソーセージを挟んで、其処にブチュブチュと黄色いマスタードが奔放にぶちまけてあります。
「わあ」
 僕は歓声をあげました。星子さんが髪を揺らして鋭い眼差しを投げかけました。
「待つて頂戴。先は言はないで!」
「え。」
「雪夫さんの言ひさうなことくらい判るわ。だつて頭の中にはそれしかないんですもの!ケダモノ!」
 僕はうろたへました。
「そ、それは誤解です。僕は、その、見たまゝを云つたゞけで」
「マアいゝわ。食べませう。このお店はトロピカルジュースが名物なのよ」
 僕と星子さんは大ぶりなホットドッグとトロピカルジュースの包みを提げて近くのセントラル公園に行きました。だゞつ広い公園の芝生は朝露に濡れて足もとも冷えます。困つたなぁと思いながら歩き続けてゐたら、公園の中の癖にお城が出現しました。
「ベルベドーレ城ですつて。」
「此処で落ち着きませう」
 お城はゴチック調の簡素な造りで、雨宿りが出来るくらいの代物でしたが、それでも座る場所を探してゐた僕たちには願つてもないお城でした。二階に上がると、内部は薄暗くガランとした只の石造りの建造物ですが、もともと岩の上に建てられてゐるらしいだけあつて、その眺めは抜群でした。前後が遥か二キロにわたる長大な敷地の眺望は芝生と湖、その先は靄のなか。すぐ近くにはメトロポリタン美術館が威風堂々と聳えてゐます。ホットドッグを頬張りながら、星子さんは湖の方を指差して
「あの辺りは其のうち訳あつて苺の丘と呼ばれるやうになるわよ。さうして世界中から甲虫のファンが集まることね。」
 と言ひました。僕は少し可笑しくなつて
「カブトムシのお仲間つて、ぢやあ四つん這いになつてあの辺りで交わるのかい?」
 と訊きました。
「マアッ!だから雪夫さんは!」
 星子さんはぶりぶりと怒りながらホットドッグを平らげ、ジュースを勢いよく飲み干しました。それから小さな声で呟きました。
「間違つてはないけど。」
 僕は石の壁にかつちりと両手を突ゐて星子さんを閉じこめ、
「だつたら何ふして怒るのさ?」
 と顔をすれすれに近づけて不平を云ひました。星子さんはしなやかな草色のワンピースを小魚のやうに翻へしてスルリと抜けると、シャアシャアと言ひます。
「だつて雪夫さんがムキになるのが面白いんですもん」
 僕は仕方なく、アハハヽヽと笑ひながらスタスタと階段を降りる星子さんの後を追ひました。

 芝生の丘に降りた星子さんはイキナリ振り向くとにこやかに左を指しました。
「まだこんな時間だし折角だからブロードウェイに行きませうよ!」