さへずり草紙NEO

旧はてなダイアリーを引き継いでいます。

歸つてきた奥様と蔵の中

学校の試験があるので丸二日間、下の居間へも降りず書生部屋に缶詰になつて勉強してゐましたら、ダダダダ、と階段を駆け上る音がして、襖を蹴破る勢いで女中のお八重が飛び込んできました。お八重は床に両手をついて肩でハアハアと荒い息をつきながら塩辛声で叫びはじめました。
「雪夫さん、いい加減奥様をかまつて遣つてくださいな!あれでは奥様が余りにもお可哀さうでご無体でトテモ見ていられやしません!」
 僕は回転椅子で女中のうずくまつてゐる方へ向き直りました。
「一体どうしたんですか騒々しい。どうせまたいつもの病気でせう?」
 女中は奥様からさういゝ含まれてきたのか、新派劇のやうな大仰な演技で膝から半身を立てると、両手を天に差し伸べてイヤイヤをしながら静にいゝました。
「いゝへ、このまゝでは奥様は死んでしまひます。お助けできるのは雪夫さんだけなのです!」
 僕は面倒くささと厭な予感で胸を一杯にしてのろのろと机から離れると、女中に続いて階段を降りてゆきました。
階段室に降りるとお八重は「ほんでは面倒なこってすが奥様ぁよろしゅうお願げ申すだ」とぼそぼそ云つて女中室の方へ去りました。

 奥様はダイニングの分厚い樫の一枚板の卓に肘をついて、いかにも物憂げさうな顔で溜息をつきながらバイロンの詩集を眺めてゐました。ダイニングの敷居をまたいで入つても奥様がお気付きにならない様子なので、僕は
「奥様」
と声を発しました。すると奥様は、あたかもたつた今気がついた、といふ風にビクッと顔を上げて僕を見ると、器用に右の目から涙を一筋ポロ、とこぼしました。
「雪夫さん、わたくし、あの、どうしませう。すつかり雪夫さんに嫌はれてしまひましたわ」
 僕は面倒なあまり溜息をつきながら言ひました。
「僕が学校の試験勉強で二階に籠もることはモウ一週間も前から予告してゐたでせう? まだ二日しか経つてゐないではないですか」
「だつて、だつて、いつも視界にゐる雪夫さんがゐなくなつたら寂しいに決まつてゐるぢやない!」
 奥様は駄々をこねましたので僕は少し怒つてみせました。
「だからつてお八重に芝居を仕込んで派遣することはないでせう!」
「アラ、妾そんなこと知らないわ。キットお八重が妾の気落ちしてゐるのを見て勝手に心配して呉れたんでせう…」
 奥様は、何事もないかのやうに取り繕いながら、嘘をついてゐるのがありありの不審な素振りで手を震はせて詩集を取り落としました。バイロン詩集のカバーがはらりと外れて「変態風俗画鑑」のめくるめく挿図が露はになつたので奥様はあはてゝ本をかき抱いて隠しました。
「わ、妾なんにも言つてないことよ! お八重に芝居なんか出来つこないし期待すらしないことよ」
「いへ、よく頑張つてゐましたよ。あれは案外ギリシャ悲劇の才能があるかもしれません。」
「さうでせう! 妾もお八重の神がかつたやうな演技に才能のかけらを見出したわ。台本は妾が書いたのよ!」
「矢張り奥様でしたか」
「あら……だつて其れは階下に降りてこない雪夫さんが悪いんだワ」
「奥様は僕を見つけたらヅボンを無理やり脱がせて必ず二度や三度は射精させるぢやないですか!」
「射精の四回や五回が何うだといふんです。減るものぢやあるまいし」
「減りますよ。其れで試験が駄目になるのは僕なんですから」
「まあ! 雪夫さんはご自分のことばかり仰る。妾のことなんかどうせどうせ、何うでもいゝんでせう!」
 奥様は涙目でかぶりを振つてボブ刈りのさらさらな黒髪を軽やかに舞わせました。僕は語勢を弱めました。
「そんなことを仰って、今までだつていつたい何ガロンの精液を無駄にしたことか……」


「ガロンですつて!」
 奥様は口早につぶやくと両手を胸の前で結んで、目を輝かせました。
「わたくし、精液をガロンで量る殿方、初めてですわ!雪夫さんとても男らしいこと!」
 奥様はダイニングの敷居際に佇立してゐる僕の足元へ滑り込み、手際よくヅボンを抜き取るとあれよあれよといふ間に下半身を剥き出しにしてしまひ、其の為に予てから用意してあつたらしい絹の手巾とエチルアルコホルでクルクルと消毒しました。さうして下から媚びるやうな顔つきで
「さ、見せて頂戴!」
 と焦れつたいやうな声を出しました。さうする間にも僕は蒸発するエチルアルコホルに熱を奪はれスースーする陰茎を絹の手巾越しに握る奥様の暖かい手の感触で、不覚にも屹立してしまひました。
「お、お、奥様。いけません。いけません。書生とお屋敷の奥様がコンナ関係になつたことが知れたらとと飛んでもないことが」
 奥様は其の言葉を聞くと、獣のやうな情欲を瞳に燃えたゝせました。
「雪夫さんつたら女を興奮させるのがお上手だわ」
「そんな積りで言つたんぢやありません」
「雪夫さんはそんな積りでなくても此処はそんな積りなやうよ?」
 奥様は悪戯つぽい妖艶な顔でいきなり陰茎に喰いつくと、舌を絡めてチュパ、と舐めあげました。僕は思はず本能のはたらきで息を荒くすると、足元の奥様の肩を両手で掴んで床の上に押し倒しました。
「きゃああああ」
 奥様は僕の腕の下で予想外な叫び声を延々とあげながら細い襞のスカートからすらりと伸びた脚をばたつかせて、奥様にのしかゝつた僕を散々に蹴り上げました。奥様の阿蘭陀木靴が陰嚢を思ひきり蹴り上げたので僕は「がっでむ」と叫ぶと子猫のやうに丸くなつて言葉にならない痛苦を味はひました。さうする間に身嗜みを整へた奥様は唸りながらジタバタと床を転げ回る僕に震へる指を指しながら、
「雪夫さん! いつか斯うなるだらうと妾思つてゐましたわ! 雪夫さんの獣のやうな性慾が妾の貞操を蹂躙しやうとするのは時間の問題でしたわ! すこし気を許したらゆ、ゆ、雪夫さんったら其の汚らしい凶悪な、そ、其れであたくしを獣慾の赴くまゝに犯さうと」
 奥様は自分で自分の言葉に怒りを焚き付けられてさらに激昂しました。マジョリカ焼きの皿が何枚も僕を目がけて投げつけられ、床で粉々に割れました。
「えゝさうよ! 雪夫さんは野蛮なけだものだわ!いへ悪魔よ!」
 さう糾弾した奥様はハッと口許を手で隠すと、なにか重大なことに気がついたやうに蒼ざめた顔でジリジリと後ずさりしました。
「サタンだわ。ゆ、雪夫さんはサタンでしたのね。おゝ怖ろしい。わたくし、雪夫さんを見るのがこはい」
 さう放心したやうに呟くと、溶接用の防護面を取り出して頭からスッポリ被つてしまひました。
 僕はこの茶番にいさゝか辟易して、下半身をむき出しにしたまゝノロノロと起き上がりました。僕が動いたので奥様は動転して電気に打たれたように
「ヒッ」
 と声を上げると、大きな樫の一枚板のテーブルの反対側に飛んで逃げました。
「奥様、僕は何んにもしませ」
 奥様が鴨居に飾つてある鹿撃ち銃を下ろしてカチャリと音をさせながら振りかへつたので僕は腰を抜かしさうになりながらあはてゝダイニングから逃げました。耳のすぐ側をピュンピュンと銃弾が走りました。
「ひえええええ」
僕は衣服を小脇に抱へ陰茎を剥き出しにしたまゝ小便の飛沫を撒き散らしながら廊下をこけつまろびつ逃走し、客用の待合室を駆け抜けて座敷を三つばかり越へ、奥の庭に隣接してゐる土蔵に飛び込んで内側から分厚い扉をカッキリと閉じました。さうして扉に背を凭れて心臓の音を耳の中に聴きながらハアハアと肩で息をしました。二十屯爆弾でもビクともしなさうな扉の向ふに奥様の「雪夫さん雪夫さん」と呼ばはる声が近く遠く聞こへましたので僕は肝を冷やして扉を腕でつっかへました。奥様の気配は分厚い扉に遮られて一毛も伝はりませんでしたが、とつぜん外部からカチャリと鍵を下ろす音がしました。僕はビックリして扉を開けやうと力一杯押しましたが、もはや扉は微動だにしませんでした。

一体何日経つたのか、声が嗄れ果てゝ、肋骨が指先の感触でゴツゴツと触れるくらい痩せて喉もかららに干上がつてそろそろお終ひかといふ頃合いに、重くてびくともしなかつた扉がガチャリと音を立てゝ、幾条かの細い光が差しこみました。眩い光のなかで埃が舞つてゐました。
奥様が夜会ドレスでおそるおそる、丸で「まだ生きてゐるかしら?」といふ風に僕を窺ひながらソロソロと近づいてくるのをボンヤリ見詰めながら、僕は朦朧とした頭で「いよいよハライソか」と思ひました。奥様は僕の眼に光を認めると、オペラバックを放りだして駆け寄つて來て、脂粉の香りのする胸に僕の頭を抱へこみ、
「まあゝゝゝ可哀想に! 妾、しばらくパーティー続きでしたでせう? 雪夫さんのことなんかスッカリ忘却してしまつたのよ! 御免なさいね!」
と明るい声で囀りました。朦朧とした頭でなんとか頷く間に奥様は僕の襯衣に冷たい指先を差し込み、肋骨を数へるやうに探ると、言葉もなく僕の頭を抱きしめました。僕は奥様の胸にぐにゅりとめりこみ、息ができませんでした。さうしてバタバタしてゐると、額や頬にポタポタと熱い液体が降りました。
「妾、雪夫さんがコンナになるまで放つてゐたなんて! 不可ませんわね。」
奥様は御免なさい御免なさいと泣いて謝りながら僕の肌を撫でさすつてゐましたが、何の加減かヅボンの下になめらかな手が滑り込み、家具の隙間に落ちた子鼠を拾ふやうに僕の陰茎を暖かい掌で包み込みました。人間は生命の危機を感知すると、残余のヱネルギーを注ぎ込んで種の保存を試みると云ひます。僕の陰茎は幾日かの絶食と運動にも拘らずかつて無い程に怒張をみせました。
奥様の嗚咽が止まり、違ふ種類の鼻息が荒くなつて参りました。
僕は半死半生のまゝ抵抗も空しく藏の中で奥様に荒々しく犯され、魂の抜け去るやうな射精を果たすと遂に気を失つてしまひました。