さへずり草紙NEO

旧はてなダイアリーを引き継いでいます。

「大東京變はり錦絵 お屋敷の元旦」

 大晦日を部屋に引き籠もつてラヂオの演芸番組を聴いてゐた僕は、ルルの呼ぶ声で階下に降りますと、ルルに「アラ」といふ顔をされました。
「雪夫さん、初詣にはご一緒しないのかしら?」
「僕は其んな楽しい計画は聞いてゐませんが。」
「パンピネオ。雪夫さんに云つてないぢやないの」
 パンピネオは長い尻尾を股の間に挟みこんでコソコソとルルの後ろに隠れてしまひました。僕は階段を一段跳びに駆け上がつてドレスルームに飛び込み、股引を二枚重ねにしてヅボンの下に穿き、厚手のツィードのコオトで身を固めました。
「これから浅草寺にお詣りするのヨ。」
「きつと凄い人出でせう」
 シボレーの円タクに揺られて地下鉄の浅草駅の附近で降りると、既に人だかりが芋を洗ふやうでした。はふはふの態で仲見世の交錯する参道を抜け、大きな朱塗りの門を潜つて行列の出来てゐる大本堂に向かふと、ルルが呼び止めました。
「ちよいとちよいと。そつちぢやないわよ!妾たちのお詣りするのは神社の方だわ。一年の芸能と創作をお祈りする神社だから、こつちが本当よ!」
 なるほど本堂より遥かに小さな神社の境内には、歌舞伎役者の建立した碑や詩人俳人の句碑がぼこぼこと立つてゐます。ルルとリキーのパンピネオと僕は其処でお詣りをして、其れから裏手に抜け、人が鈴なりに並んでゐる時の鐘で除夜の鐘を撞きました。


「お早う。新年お目出度う!丑年のはじまりよ!」
 朝になるとルルが、学校の用務員が持つてゐさうな時鐘を振つてけたゝましい音を立てながらお屋敷中をめぐりました。驚いて部屋をパジャマのまま飛び出すと、ルルは市松花菱の江戸小紋のお召しに、ニッポン号が上空を飛翔する富士山の柄の帯と青水晶の鴬の帯留を胸高に締めて、春画の裏地のついた貝合はせの大柄の羽織をひらひらとさせてゐました。
「マア、雪夫さんお目出度うございます。今年も宜しくね」
 ルルが断髪をだらりと下げて挨拶をすると、襟から白い項がこぼれました。
 食卓につくと、パンピネオが大あくびをしながらのそのそと這入つてきて、後ろ足をぴんと張り詰めて伸びをしました。
「あゝゝゝよく寝た。雪夫は初夢見たのか。俺はルルと貴様を乗せて走り回る夢ばかり見て背中が痛いぞ。験が悪い」
「僕はパンピネオの毛皮を敷いてその上でトテモ素的でいやらし」
僕は機嫌の悪いパンピネオの前足で跳ね飛ばされてマントルピースに叩きつけられ、上から落ちてきたマヂョール焼きの壷が頭にコンと当たり、窮と云つて気を失ひました。
「あらあら、まあ。サアお屠蘇ですよ!」
ルルが樫の一枚板のテエブルに並べたお猪口にお屠蘇を注いで回りました。
「ルルも新年から好き者だな。」
パンピネオは何を勘違ひしたのか、のそのそとルルの足許に擦り寄つて着物の裾を鼻で掻き分けて頭を突つ込みました。
「キャッ。パンピネオたら。違ふわ!違ふわ!お屠蘇よ!朝からそんなこと、みっともないわ!」
 ルルはじたばたしながら其の儘パンピネオに担がれて、何処かへ拉致されてゆきました。


 午後になると新年の挨拶のお客が陸続とお屋敷に来ました。一通り宮様や華族などの貴顕の年賀回りが途絶へると、ルルの友達が現はれました。
「オイっ。僕を何時まで寒い玄関に待たせて置くんだ。満州でだつてこんな酷い待遇はないよ」
 来客の饗応をしたあとルルがまた虎に悪戯をされて色めいた声を出してゐるのを覗いてゐたので、お客の大声に僕はあはてゝ玄関に走りました。玄関に新聞でよく知つてゐる川島芳子さんが立つてゐました。ルルがぱたぱたとスリッパを鳴らして飛び出してきました。
「まあー。芳子さんぢやないですか。いつ内地へ?」
「僕は神出鬼没さ。スパイに命を狙はれてゐる身だからね。これで失礼するが今年も宜しく。」
「まあ、気の早い人だこと」
 そのあと、奥様が松澤病院にゐた時に戦陣を開いた津島修治さんが年賀に来ました。既に何処かで飲んで来たらしく、へべれけに酔払つてゐました。ルルはあつさりした簡単服に着替へて腕組みをして困つてゐました。
「オーイ、ルル子居るかあ。」
「此処に居るぢやないですか。情婦みたやうな云ひ方止して頂戴。」
「僕はモウ駄目です。改造の一月号に『二十世紀旗手』が出ますから遺書だと思つて読んでください。」
「えゝいゝことよ。太宰さんはいつもさう云つて死んだ試しがないわ。」
「いゝへ!ルル子に冷たくあしらはれたから今度こそ心置きなくやります。ああ、三月くらいがいゝだらう。新聞に出ますよ」
「縁起でもないわ。帰つて頂戴!」
「ナタアリヤさん、キスしませう」
「あら厭だ、妾ルルよ。モウ本当にこの人酔つ払つちまつてゐるわ」
 僕はパンピネオの手伝ひで着流しの津島さんの袖を引張つて、お屋敷の鉄門の外に放り出しました。津島さんは朦朧とした顔で鉄門の前にふらふら立つてゐましたが、僕に
「威張るなよ」
 とぼそつと云ふとふらふらと歩き去つたので、正月から非常に気分を害しました。

 津島さんと入れ替はりに二村定一さんが来ました。
「やあルルは居るかい」
「まあ、べーちゃん先生ぢやないこと。ご無沙汰だつたわねえ」
「なんなら景気づけに歌つてもいいけれど、雪夫君のお尻をすこし貸して呉れるかなあ」
「勿論いゝわ!まああ、何を歌つて呉れるのかしら?ワクワクするわ」
 僕はべーちゃん先生に日差しのよいサンルームに連れられて、有名な巨きな物でたつぷり悪戯をされたので少しだけ泣きました。
「やつちまつたら、なんだか歌ふ気がなくなつたなあ。」
「えええええ。せつかく雪夫さんも体を張つて頑張つたことですしお歌ひなさいよ」
「思ひのほか雪夫君が騒がなかつたからあンまり良く気をやらなかつたんだヨ」
「べーちやん先生の巨根に慣れちまつたんぢやなくて? ホヽヽヽヽ」
「今度、浅草の電気館でステージ拵へて共演する場を設けるからけふは失敬するよ」
 二村さんはすつきりした顔でそゝくさと帰つてゆきました。たゞ単に僕のお尻が目当てだつたのかもしれません。
「まつたく変な人ばかりお年賀に来るわ。雪夫さんのせいよ」
 僕は自分に飛ばつちりが来たので吃驚しました。
「僕、知りませんよう。みんなルルの知り合ひぢやないか」
「まあ。口応へするのね。」
 ルルが簡単服の上に引掛けたエプロンからごそごそと猛獣用の短鞭を出さうとしたので、僕はあはてゝ逃げ出しました。
「逃げるかつ」
「ぼ、僕、新年だから書初めをしなけりやなりません」
 ルルは僕を追ひかけてゐた足を止めて不思議さうに呟きました。
「かきぞめですつて?」
「さうですよ。新年の抱負を想像して書くんです。上手く書けたら願ひが叶ふんですよ」
 僕は居間に入りながらルルに説明しました。
「まああ、面白さうだわ!妾にもさせてくれないかしら。」
「えゝ、ルルも書いてみたらいゝと思ひますよ。」
「うれしいわ!この薄ぺらい紙に飛ばしたらいゝのね」
 ルルは簡単服の膝を屈すると、僕のヅボンのベルトをするすると抜き、下穿きまで下ろしてヱタノールアルコールでクルクルと消毒を済ますと、器用にいじりまはしました。
「あの、書初めなんですが」
「えゝさうよ。斯ふするんでせう? アラ意外に肉太だこと。」
 僕はルルに良いやうにされて忽ち射精してしまひました。
「一寸うまくいかなかつたワ。もう一度かき直しますわね」
「アラ。勢いが良すぎてなかなか紙に収まりませんわ。もう一度。」
 僕はさうして薄暮までに六回も精を尽くしたので、丸で奥様にいたぶられてゐた頃のやうだと思ひながら、白熊の毛皮でふかふかのソファーでパンピネオのリキーとルルが絡まり合ふのを、ぼんやりした頭で眺めてゐました。
「けふは朝からパンピネオが悪戯するから一日モヤモヤしてをかしな気分だつたわ。」
「だからつて雪夫まで巻き添へにしなくてもいゝだらう」
「だつて何んだか悔しかつたんですもの。六回も出来るなんて思はなかつたわよ。」
「非道いなあ」
 僕は眠くなりながら、書き初めよりは出初め式のやうだと考へました。夢の中で虎に追ひかけられる夢を見ましたが、きつと其れがパンピネオだつたに違ひありません。