さへずり草紙NEO

旧はてなダイアリーを引き継いでいます。

「ルルの大放送 "Broadcast of LULU 1936"」

 1
 或る日、お腹がすいたので食堂へ行かうといふ態でお屋敷の一階のサンルームを横切りましたら、いつのもの昼前の習慣でルルがソファにゆつたりと凭れて、冬のあたゝかい日差しを浴びながらフランス製のノートになにやらさらさらと描いてゐました。
「ルル、何してゐるの?」
 ルルはたいへん驚いてノートを取り落としましたが、すぐにバッと拾いあげてノートを蝶のやうに広げたまゝワンピースの胸に押し当てました。少し動転してゐるやうに見へました。
「あら、雪夫さん。お通りになるならさう云つて下さればよかつたのに」
「でもルルはまるで気付かなかつたんだもの。」
「マアッ。雪夫さんは雪夫さんの癖に口応へするのッ」
 ルルは柳眉を逆立てゝソファから立ち上がりました。白い縁取りのレエスが附ゐた薄いリネン地の赤いスカアトからすつきりとした脚が伸びてゐました。立つた拍子に、そのスカアトを大きく横切つて、ルルの胸に抱へてゐたノートが厚いゴブリン織の絨毯に音もなく落ちました。
「おや、ルルは何か書いてゐたのですか?」
 ノートには勃起した立派な陰茎が描かれてゐました。僕はたいへん驚いて、このひとはすこし頭がをかしくなつたのだらうか等と疑ひながらおずおずとしり込みをして慎重にルルに伺ひました。
「あ、あの何うしてそんないやらしいものを、その、まざまざと生々しく本物そつくりにお描きに」
ルルはキッと僕を睨みつけて、嫌悪の表情をあらはにしました。
「違ふわ。いやらしい物なんかぢやないわ!これは妾が描いた"鼻長をぢさん"といふ天狗のキャラクターよ。可愛いでせう?」
「これは丸で陰茎ではありませんか」
「違ふの!鼻長をぢさんなの!雪夫さんはいつもいやらしい事ばかり考へてゐるから其んな風に見へるんだわ。パンピネオだつたら分かるわよ、きつと。雪夫さんなんかよりずつと絵心があるもの。芸術家肌だもの。雪夫さんなんか駄目だわ。駄目の二乗よ!いやらしい人!」
 そのときパンピネオがのそのそと応接間に這入つてきて日差しのいゝ絨毯にのっそりと座りました。さうしてごろんと横になると、大儀さうに首を背中まで振り向けて、ゴロゴロと咽喉の奥を鳴らしながら尻尾の根本を丹念に舐めはじめました。ルルが
「パンピネオ、可愛いわ」
 と声を掛けると、パンピネオは億劫さうに頭を上げました。さうしてルルの描いた絵に目を留めると、鼻をクンクンとさせながら、興味深さうにじろじろと見つめて言ひました。
「おや。俺んじやないか。ルルが描いたのか」
「パンピネオぢやないわ。これは鼻長をぢさんよ」
 パンピネオはのっそりルルの傍に行くと、ニヤニヤしながら断髪に鼻を突つ込んでルルにごそごそと何か言ひました。ルルはハッと驚いた顔をして、拳固でパンピネオをぽかぽか殴りました。パンピネオは愛する主人に思はぬ仕打ちを受けた驚愕と衝撃のあまりギャンと一声なくと、尻尾を垂れて部屋を飛び出してゆきました。僕は目を丸くしました。
「パンピネオが可哀想ぢやないか」
「だつて彼奴、トテモいやらしいことを言つたんだもの。あんなに馬鹿な虎だとは思はなかつたワ。幻滅だわよ。恋人失格だワ」
 僕は内心ほくそえみながら、ルルの耳に甘言をたらしこみました。
「ルルはあんな馬鹿虎には勿体ない。虎は所詮タイガーだもの。肉欲の徒ですよ。僕が人間にしか出来ない、目も眩むやうな素晴らしいデートにお誘ひませう。」
 ルルは曇つてゐた眉を開いてパッと喜色を取り戻すと、胸の前で両手を組んでソプラノの声を挙げました。
「マア素的!妾、楽しいことには目がないのよ、じやあ連れていつて頂戴!」
「いゝですとも!では一寸の間、楽しいことには目のないルルに目隠しをしてゐて貰ひませう。」


2
 僕は前もつて用意の黒ビロードの目隠しを手際よくルルの目に被せてしまひ、あれあれマアとルルがキョロキョロと驚く間に、ルルのしなやかな手首も後ろ手に手錠をかけて拘束してしまひました。バタバタと活き魚のやうに跳ねまはる生白い脚を縛り上げるのは骨でしたが、しなやかで強い絹糸を縒つた細引きでグルグルに巻き上げてしまひました。さうして、予てよりの準備と演習通り、呼笛をピッと鳴らしました。
すると小間使ひ部屋に押し込まれてゐた陸軍の精鋭が数名、音もなく滑り出て、喚きながら足をバタバタと乱すルルを担ぎ上げました。ルルの名前を借りて陸軍省に電話をしたら何とかいふ学校から派遣された青年たちで、一見した処は背広姿なので全く軍人らしくありませんでしたが、その身捌きや機転はスパイに違ひないと思はせられました。
 彼らは好青年らしい長髪をたなびかせて、無言のまゝルルを運搬すると、車寄せに回されたフォード最新型のV8の後部座席に放りこみ、ドアーをバタン!と閉じました。僕は前ドアーを排して、ふかふかとした座席に身を沈めました。ルルは後部座席に放り出されたまゝ、ジタバタ暴れて叫びました。
「雪夫さん!こんなこと許されなくてよ!みんな死刑になるわ。憲兵隊で銃殺になるのよ!雪夫さんも穴だらけよ、いま解放してくれたら許してあげてもいゝけど!」
 後部ドアーを排して、落ち着いた齢のをぢさんが一人フォードに這入つてくると、昂奮してゐるルルの両肩を手でポンポンと軽く叩き、
「マア、落ち着きなさい。悪いやうにはしないから。」
 と穏やかに諭しました。ルルは不安さうに紅い口をパクパクさせました。
「貴方はだあれ?」
 をぢさんはすこし芝居じみたやうに荘重な声で名乗りました。
「俺かい。俺は地獄への案内人だよ」
「キャアアアアヽヽヽヽヽヽヽ降ろして!降ろして頂戴!人殺し!」
 ルルは自由の効かない躯を海老のやうにのけぞらせて、フォードの窓ガラスにゴツン、と頭を打つたりなどしました。黒ビロードの目隠しの間から涙が筋を作つてゐました。ルルの泣き声と喚き声を乗せてフォードは疾駆し、急な坂を駆けのぼりました。
 自動車は、巨大にそそり立つ鉄塔のそばに佇んでゐる混擬土の建物の前に滑りこみ、音もなく停車しました。をぢさんがぐつたりとしてゐるルルのザンバラの断髪から現はれたピンク色の耳に吹き込みました。
「さあ、着きましたよ。」
「まァ。地獄に着いたのね。」
 ルルはがくがくと震へあがりました。
 建物の中から数人の男がわらわらと飛び出し、抵抗する気力もなくしてしまつたルルを担ぎあげると、ホイホイと建物の内部に運び込みました。僕はをぢさんと後に残つて、ぶらぶらと鉄塔の辺りを散策しました。
「久保田さん有難うございます。わざわざ。」
「雪夫さんには縁もゆかりも無いがルルさんの事ですから少しきばりましたよ。…ときに君は三田の出身かね。」
「イエ違ひます。白金台の…」
「さうかい。まァ然しいゝだらう。」
 JOAKの文芸課長をしてゐる久保田万太郎さんは憮然とした表情で呟くと煙草を靴の下でにじり消し、ポケットに手を突つこんでのつそり愛宕山放送局に入つてゆきました。僕も久保田さんの後について薄暗い放送局に入り、二階に上がつてルルの運び込まれた放送スタヂオに足を踏み込みました。其処は七十六平方米ばかりある、洋楽演奏室でした。ルルは縛られた白鳥のやうにスタヂオの隅のソファにぐにやりと横たはつてゐました。
 久保田万太郎さんがスタヂオの外から僕に手招きをしましたのでスタヂオを出ますと、
「モウ準備万端だぜ。そろそろ始めやう。何しろ第二放送の電波と洋楽スタヂオを押さへるのに理事共に…あゝ其れは何うでもいい。ルルさんは君が自由にして遣りなさい。」
 と口早に言はれました。久保田さんは取つ附きが悪くこはい人だと思つてゐたのですが、意外に親切なので胸の奥がジンとしました。そのとき、久保田さんと僕のそばを、ぞろぞろと今日の役者が通り過ぎてルルのゐるスタヂオに入つてゆきました。久保田さんは愛想よくそれらの人々に声を掛けました。
「サア皆さん今日は打ち合はせ通り宜しくお願ひしますよ。直に放送です。」
 スタヂオの隣の調整室にも局員があはたゞしく出入りしはじめ、いきおい緊迫した空気が流れました。


3
「ルル、大丈夫?」
 僕はスタヂオに飛び込むとルルの脚の自由を奪つてゐる絹の細引紐をたぐり解き、後ろ手にかけられた手錠も解きました。さうして黒ビロードの目隠しをさらりと取り除けると、ルルはスタヂオの照明に、目パチクリしました。さうして僕の姿を認めると、平手で頬ぺたをぴしやりと叩きました。
 スタヂオの防音壁に平手打ちの音が吸収されたので、ルルは一寸をかしな顔をしましたが、泣きながら凄い剣幕で怒り始めました。
「妾、何処に連れてこられたのよ!怖はかつたのよ!此処が地獄なのかしら?それにしては明るくて変な感じのする部屋ぢやないこと?」
 ルルはハッと気がついた風で、肩からむきだしの手を前に突き出すと、イヤイヤをしながら後ずさりしました。
「雪夫さんが少しをかしいわ。えゝさうよ。妾、怖ろしい目に遭はされるに違ひない。だつて雪夫さんなんですものッ。」
 ルルは籠から一直線に逃げ出したカナリヤのやうにスタヂオの厚いドアーに飛びつきました。
「出して頂戴。誰か誰か!早くしないと妾、何うにかされちまふわ!そのうへ麻薬でをかしくされてフヰリピン辺りに売り飛ばされてしまふの!」
 断髪を激しく揺らしてヒタヒタと厚い扉を叩くルルに、僕は手を喇叭にして叫びました。
「ルル、落ち着いてスタヂオを御覧なさい」
 ルルはこはごはと振り向いて、洋楽スタヂオを見渡しました。
 其処には、ずつとスタヂオの遮音カアテンの裏に隠れてゐた賓客やスタアたちが勢ぞろひしてゐました。二村先生が僕にちらつと流し目を呉れると、放送中のランプを指して、気障な身振りでマイクロフォンに向つて喋りました。
「さあ日本中の皆さん今晩は。これから一時間、ルルのために特別に豪華なゲストアワーを放送いたします。今夜の特別なお客様は皆さんもご存知のルルです。さあルル、あたしが司会をするよ、この皆の中ではあたしが一番ルルを知つてゐるからね。今日はルルのために色んな人が来てゐます。サア先ずこちらは、つい最近バンクーバーから帰つて来た田村俊子さんだよ!」
 田村俊子さんは派手なふはふはした毛皮の外套に、羽飾りのついた高価さうな帽子を被つてゐました。ルルが感動のあまり涙を浮かべてふはふはのミンクの毛皮を撫でてゐましたら、田村さんが無邪気に言ひ放ちました。
「ネヱ、けふの放送謝礼つてどの位かしら?」
 べーちやん先生が慌てました。
「おつと不可ない。モウ放送中ですぜ。お終いお終い。ええ、次はちようど日本に来てゐるジャン・コクトー先生です。そのお隣は喜劇役者のチャアルズ・チャプリンさんとその奥様のポーレット・ゴダアドさん。結婚したてだよ。さあさあそれからが凄い。そのお隣は巴里のヴァイオリニストのジャック・ティボーさんだ。」
「マアアッ」
 ルルは防音床を飛び跳ねて喜びましたが、両手を胸の前に組んだまゝ考へこみました。
「デモ三人とも日本に来るのは来月ぢやなかつたかしら?其れにコクトーさんもチャプリンさんも去年、贈り物を頂戴したやうな気がするわ」
 べーちやん先生はさらにあはてゝ、猫背でオロオロしながら大きな手巾で汗を拭ひました。
「えー。雪夫さんのゐる世界は所謂パラレルワールドでして、可能性の分だけ限りなく選択する歴史があつたりするので、その、五月に来る筈の三人がなぜか繰り上げて四月に来たといふ世界がこの世界なんです。ねえティボーさん。」
 天下のジャク・ティボーは紳士的にニッコリ笑つて肩を竦めました。
「なあんだいチットモ信じていないぢやないか。ティボーさんラヂオなんだから一寸は喋つてくださいよう。」
「いゝや映画的にはずいぶん面白い。僕なんか随分フヰルムをカットして映画を作つてゐるが、違ふ世界ではカットしたシーンが活きてゐたりするんだね。」
「やぁチャプリンさんは流石に飲み込みが早い。さうですさうです。」
「私はこの人がルイズと寝てゐない世界だつたら余程よかつたわ」
 ポーレット・ゴダードは何故かルルをはつたと睨みつけるとソファにどつかり座り、明後日の方角を向いてぷかぷかシガーをふかしました。べーちやん先生がまた慌てました。
「ああ…スタヂオは禁煙なんだけれどなあ」
 ルルは愉快な気分になつてきた様子で、調整室の小窓の傍に突つ立つてゐる僕に小さく手を振りました。さうしてフランス人たちに愛嬌を振りまきながら訊きました。
「みんな矢鱈に日本語が達者だけれど、それも雪夫さんのワールドだからね?きつと。…それであなた方は何をしてくださるの?」
「この二人は音楽が達者ですからね。ティボー君には珍しくピアノを弾いて貰つて、チャプリン君にヴァイオリンを弾いてもらひませう。さうして詩人の僕が音楽を背景にルルに贈る詩を読むのです。」
「マアッ素敵だわッ」
べーちやんもホッとした様子で、ルルをソファに誘いました。
「さあ、ではルルのために、ティボーさんのピアノ、チャプリンさんのヴァイオリン、コクトーさんの朗読でひと節やつて頂きませう!」
 ヴァイオリニストの弾くピアノで喜劇役者がヴァイオリンを構へて、軽いフォックストロットが始まりました。コクトーは淡い鴇色のハンカチーフを仕立てのいゝスーツの胸から颯爽と取ると、口許を拭つて吟じ始めました。
「あゝけふ我は君の白き肌に口づけをもて触れし その門を愛撫しつゝ愛してゐると告げぬ」
調整室で久保田万太郎さんがのけぞつてゐました。忽ち監督局の内務省警保局から電話が来たらしく、放送中の青いランプが赤いランプに変はりました。久保田さんがスタヂオに飛び込んできました。
「困るよ。内務省のお役人が猥褻だから放送を差し止めろと言つてきたぢやないか。」
 コクトーさんは落ち着き払つて応へました。
「おや、猥褻でも何でもありません。私はけふ明治神宮に詣でたので、あの白木の鳥居を讃へて吟じたのです。」
「とりあへず今は場つなぎにレコードを掛けてゐるんだが役所がたいそう立腹しているんだよ。困つたな。放送が続けられない。」
 僕は調整室に滑りこんで内務省警保局へ電話をかけました。
「モシモシ。ああ窓野雪夫です。放送が。あゝ、それはいいんです。高松宮殿下もそろそろスタヂオに着かれる頃ですし、…えゝ続けていゝんですね。分かりました。いま局長に換はりますから。ええではまた。」
 僕は受話器をJOAKの岩原局長に渡すと、ぽかんとしてゐる久保田さんを尻目にスタヂオに戻りました。
「さあお祭りを続けませう。次は市川春代さんに出て貰はうぢやないですか。」
 ブザーが鳴り響いて、ふたゝび青い放送ランプが点灯しました。べーちやんが俄然はりきりました。
「次は春坊、あのかはいゝ市川春代さんが日活アクターズ・バンドの演奏で、ププッディブープと『ベティー・ブープ』を歌ひます。バンドには杉狂児さんや元気な宇留木浩さんの顔も見へますねえ。」
 市川春代さんはあどけない声でベティ・ブープの唄を歌ひました。ルルはまるで子供のやうに喜んでしまひました。お終い辺には、ルルが春坊の手を取つて踊り始めたので、春坊はマイクロフォンから離れないやうにするのが大変さうでした。その一部始終を、記録映画用に雇つた小津安二郎監督がローアングルで舐めるやうに撮影してゐました。


4
「まだまだ続くよ。さあお次はアメリカのNBC放送局からの中継でベニー・グッドマン管弦楽団がルルのために『シング・シング・シング』を演奏します。其れから大変だ、シャーリイ・テムプルちやんが日本語で浪曲の『血煙高田の馬場』のサビを唸るよ!」
 十分間に亘るスウヰングの大熱演が終はると、ルルは驚喜のあまり眸にたつぷり涙の玉を膨らませてしまひました。べーちやんがルルの耳許で「グッドマンを押さへるのには三千弗もかゝつたらしいですぜ」と囁くと、ルルはマァと驚きました。テムプルちやんの浪曲では手を叩いて哄笑し、スタヂオに集つてゐる中川三郎さんや杉狂児さんや護謨鞠のやうな岸井明さんに抱きついて喜んでゐました。
 それから饗宴がはじまりました。コロムビア・ジャズバンドの絢爛豪華なサウンドに乗つて中川三郎さんが特設の板の上でソフトシューのタップを披露したり、岸井明さんが百貫の体躯を風船のやうに軽々と舞はせて「ミュージック・ゴーズ・ラウンド・エンド・ランド」を歌つたり、ディック・ミネさんとベティ稲田さんが息の合つた外人白黒の実況を声だけでやつたら、ルルは恍惚感に支配されきつたかのやうにびくびくと震へ、白目を剥いて感極まつてしまひました。
 折りも折り、スタヂオの隅ではチャプリンに手を出したと言ふてポーレット・ゴダードさんと田村俊子さんが熾烈な口喧嘩を始め、火事場の賑やかさを演出しました。パリから帰国したばかりのマドレーヌ藤田さんが朦朧とした様子でふらふらと来てルルに話しかけました。
「此処には夢でしか見られないしあはせが一杯あるわ。妾はこれがないとしあわせが見へなくなつてゐるけど、モヒなんか必要ないルルはしあはせよ」
 マドレーヌはコムパクトな注射器を取り出して手早く腕にモルヒネを打ちました。スッと眼の色が澄んで人が変はつたやうに陽気になつた彼女は、ルルの為にサティの小唄をひとふし歌ひました。
「あゝ、妾、しあはせよ!デモけふは何うしてこんなに歓待されてゐるのかしら?さうだわ、きつとパンピネオの仕業ね!パンピネオは何処?今朝は悪いことをしたわ!」
「おーやおやルルは雀くらい物忘れが早いなあ」
 べーちやん先生が呆れて云ひました。
「今日はルルの誕生日ぢやないか。雪夫さんが目も眩むやうな素晴らしいデートにしやうとアレンジした大放送だぜえ」
 べーちやん先生の後ろから喜代三姐さんと椿澄江さんとミス・エロ子が現はれて、春先に相応しい花束をルルに渡しました。パステル色のチューリップにスヰトピーをあしらひ、薔薇を少し混ぜたパステル色の塊です。
 ルルは目を瞠りました。唐突に調整室の小窓の傍に佇んでゐる僕に駆け寄つて僕の手を引つ掴むと、マイクロフォンの処まで引つ張つてゆきました。さうして花束を小脇に抱へたまゝ昂奮を隠しきれない勢いで喋りました。
「妾けふはとても嬉しいわ!妾のためにお祝ひして下さつたのでせう?それとも何か下心でもあるのかしら。」
「勿論でせうよ!ほとゝぎす 粋な声して一足とめて〜」
 ひよいと顔を出した柳家三亀松師匠が茶々を入れました。
「いけねえよ。無粋だからスタヂオの端い行つちまつて酒でも飲まねいか」「コイツもう、へべのれけになつちまつてやすぜ」
 柳家金語楼大辻司郎がすでにほろ酔ひの三亀松の羽織の裾を引つ張つてふらふらと連れてゆきました。
「あら。雪夫さんはいいお友達ですわ。ネ、さうでせう?ホヽヽヽヽ」
僕は両手で頭をクルクルと、縦横無尽に撫で回されましたので擽つたい心地になりました。
「さうだ、妾、お礼に雪夫さんの知りたかつたことを大放送します!」
「なんでせう?」
 ルルに頭を揉まれたまゝ、僕は何か途轍もなく秘密な事柄をもくもくと頭の中で妄想して、思はず勃起してしまひました。
 ルルは俄然、胸を張つてマイクロフォンの前で元気よく宣言しました。
「今朝、雪夫さん、鼻長をぢさんをどうやつて描くかお訊きになつたでせう?ですから妾、誰でも描けるやうに詳しく描き方をお話しますわ!アラまあ、雪夫さんもすつかり鼻長をぢさんのファンですわね。こんなになつて。――では皆さん。先ずお手元に紙と色鉛筆を用意してください…」
 そのあと調整室では紙と鉛筆を握った久保田万太郎さんが卒倒してゐました。 始末書が何枚要つたのか、僕は知りません。