さへずり草紙NEO

旧はてなダイアリーを引き継いでいます。

星子とパンピネオ

お屋敷の広い玄関に流れてゐた元日の朝の静寂(しじま)は、星子の絹を裂くやうな叫び声で鋭く破られました。
「キャアアアーーー」
 自分の部屋のベッドで微睡んでゐた僕は仰天して三寸ばかりスプリングの効いたベッドから飛び上がり、取るものも取り敢へず着るものをひつ掴み、
下半身を剥き出しにしたまゝこけつまろびつ階段をダダダダタダとなだれ降りました。さうして大臣貴顕の年賀客がぎつしりと詰まつた広い応接間に闖入し、控への間で下男下女が揃つて恭しく頂いてゐたお屠蘇を蹴つ飛ばし、犬小屋を吹き飛ばし、仏壇の間の盛花を無残に散らし、目にも留まらぬスピードで駆け抜けると星子の絶叫が発せられたと思しい玄関の間に滑り込みました。星子は玄関の床に向かつて驚愕と恐怖の表情を浮かべ、こゝを先途と悲鳴をあげ続けてゐました。
「星子さん!何うしたんですか?不肖僕が来たからにはもう大丈夫…」
 星子は僕が上半身に女物の赤い長襦袢を絡め下半身を剥き出しにしてあまつさへ勃起までしてゐるのを一瞥して、一段と高い悲鳴をあげました。さうして根来塗りの米櫃やギヤマンの水差しや李朝の花瓶や何に使ふのか分からない古い民芸風の鉄の塊などをブン投げてきました。純銀のナイフを手裏剣のやうに何本も繰り出す星子を、僕はやつとのことで押し留めました。
「待つてください、待つてください、これでは死んでしまひます。」
「アラお正月から死ぬなんて言つちや不可ないのよ」
「もとい、あの、そのお目出度くないことになつちまいます。それより星子さん何うして早朝から叫んだりなど」
「さう!それよ!パンピネオがあんなことに!」
 星子が涙目で指さした先には虎の剥製が寝そべつており、歯並びを誇示した頭がごつてりと持ち上がつてゐました。星子はハッタと僕を睨みつけ、喰つてかゝりました。
「妾とパンピネオの仲があンまりいゝから雪夫さん嫉妬してコンナこと仕たんでせう?雪夫さんならやり兼ねないわ!」
 僕は後ろに背負ってきた横断幕を出して、端つこの棒を床に突き立てるとスルスルと星子の眼前に展開してみせました。
「大☆成☆功?なによ、これ!?」
「えへへゝゝ、元旦から星子さんが吃驚するかと思つて納戸から引張り出して伸べておいたンですよ。此奴はパンピネオなんかぢや。ぐえ。」
 星子は僕の陰嚢に木彫りのスリッパで蹴りを入れ、餅つきの巨大な杵を振り下ろしました。僕は頭の周りに星を散らせたまゝ、泣きながらヨタヨタと星子に縋りつきました。
「お正月からサプライズがあるといゝ一年になるぢやありませんか」
 星子はシッシッと僕を膝下から追い払ふと、カーディガンの別珍の襟を寄せて首をすくめ、なお怯へた目つきで後退りしました。そのグレーの絹靴下に包まれた脚と華奢な背中が背後の壁に当たると、星子は眉を寄せて絶望的な顔でイヤイヤをしました。
「いゝへ。いゝへ。そんな年明けはイヤよ、断じて!さうだワ、雪夫さんは新年早々、妾を恐怖のどん底に陥れて、その剥き出しのおぞましい武器で無慈悲な獣のやうに妾をいたぶらうと云ふんだワ」
「そんなことしませんよう。毛皮がパンピネオぢやないつて安堵した星子さんが歓喜の餘りチャールストンでも踊り始めるかと期待したゞけなんですよう」
チャールストンのあと冷酷に押し倒して野獣の牙を剥くのでせう!おゝ怖ろしい!雪夫さんの考へてゐることが怖ろしい。」
 ハタと何かに目覚めた星子は棒立ちのまゝ蒼白となりました。
「さうだ、サタンですわ!雪夫さんはサタンよ!悪魔なのよ!」
 星子はとめどなく激高した挙句、懐から古びた十字架をわなわな震へる手で掴み出すと僕に向かつて突き出しました。
「えゝゝゝゝゝゝ悪霊退散ノーボータリツハラボリツシャキンメイシャキンメイタラサンダンカエンビイソワカ
 僕はすこし困つてしまひました。それで陰茎がハダカデバネズミのやうに萎へてしまつたのを見て安心したのか、星子さんは黒い覗き窓のついた溶接用の面当てをおもむろに取り出すと顔にすつぽりと被つてしまひ、くゞもつた声で宣言しました。
「もう雪夫さんを二度と今までみたいな目では見られませんわ。」

 あまりの劇的な展開に陰茎と一緒にうなだれて泣いてゐるところへ、パンピネオがのそのそとやつてきました。
「なンだい五月蝿いなあ。お正月なんだからゆつくりしなけれあ」
 パンピネオは僕の前でハタと歩みを止め、訝し気な表情でパチパチと瞬きして前方を凝視しました。視線の先には先ほど僕が吃驚大作戦に用ゐた虎の毛皮が敷いてあります。しばらく虎の毛皮を見詰めてゐたパンピネオははらはらと涙を流しました。眼から太い鼻筋に沿って、涙が染みて黒い道を作つてゐます。
「パンピネオもあれが自分の毛皮だと思ふのかい?」
「違ふやい。俺の妹のハルミがアンナ姿になつて晒し者になつてゐるのが不憫で泣けてきて泣けてきて。」
「ええつ」
 僕は、納戸から引つ張り出した毛皮がパンピネオの妹のものだとは夢にも思つてゐなかつたので吃驚しました。パンピネオはめそめそと泣いてゐた視線をギロッと僕に移すと、鼻に皺を寄せて僕を睨みました。
「可愛いハルミを毛皮にしたのはお前か?」
「ち、ち、ちちち違ひます!なな納戸から出してきたらそのその」
「お前なんだらう!」
「違ふつたら!この毛皮がハルミさんだなんて本当に知らなかったんだ」
「毛皮とか言ふな!」
「ご遺体…」
「中身はどうしたんだ?」
「知らないよ!」
「もし星子さんが皮だけになつて広げられてゐたら貴様はどう思ふ?」
「ちよつと面白いかも」
「なンですつて!?」
「ウソです!間違ひ。それあ泣き喚いて縋りつきますよう」
「さうだらう?謝れ」
「ごめんなさい」
 星子は僕の前につかつかと歩んできて、パチンと僕を平手打ちにしました。
「打たなくてもいゝぢやないか」
「だいたい雪夫さんがアンナ毛皮を持ち出すから悪いのよ!」
「ごめんなさい」
「ハルミさんに言はなきや!」
 星子が床に延べられた虎の毛皮をクルクルと巻いて持つてきたので、僕は毛皮に頬ずりしながら涙を流して謝りました。
「本当に知らなかつたんだよう、でもごめんよう。もう冷たい床には敷かないよう」
 星子も泣いてゐました。パンピネオも泣いてゐました。パンピネオは鼻をすゝりながら、ヨシッと叫びました。さうして毛皮を星子に手渡しました。
「星子はハルミの代はりに歌つていかなきやいけないよ」
「アラ、妾はモウ歌つてゐるわ。」
「妹のハルミもジャズ歌手だつたからさ。この毛皮を被つたら、そのあいだ星子はハルミになれるんだぜ」
「さういへばパンピネオも夜はリキーに戻るんでしたつけ…アラ、じやあハルミつて云ふのは宮川はるみなのね!」
「さうだよ!」
「ぢやあ此の毛皮を纏つたら妾、昼はタイガーで夜は宮川はるみになれるのね。素敵だわ!」
「それ丈ぢやあない。虎はあつちの方も素敵に強いんだぜ」
パンピネオがウヰンクしました。星子はぴよんぴよん飛び上がりました。
「なるなるなるなるなるなる!」
 パンピネオは寒さで鳥肌が立つて陰茎を縮こませてゐる僕を横目でジロジロ見ながら独り言のやうに呟きました。
「この毛皮に生命を吹き込むにはちようど雪夫くらいの少年がカラカラに枯れ果てるくらいのザーメンで黒魔術をしなけれあ不可ないんだが、そんなことは星子にはできないだらうなあ…」
「できるわ!」
 星子が瞳をキラキラさせてキッパリ宣言しました。その躊躇いのなさに僕は自分の身に危険が迫つてゐることすら忘れてゐました。さうして気がつくと僕の四肢はキリキリと革のベルトで縛りあげられ、冷たい床に転がされてゐました。
「え!?え!?」
 昂奮のあまりいさゝか蒼ざめて唇を紅くした星子は、首にしなやかに巻かれた漆黒チョーカーの下の白い喉をごくりと動かしました。静かに欲情しはじめてゐるに違いない星子を為す術もなくおずおずと眺めるうち、僕はふたゝび陰茎を勃起させてしまひました。すると獲物を狙ふ豹のやうに瞳孔を大きくした彼女は僕を蔑むやうに見下ろし、唇を曲げて不敵な笑みをみせ、屹立したものを天竺鼠でもなぶるやうにクルクルと絹の靴下に包まれた爪先で嫐りました。
「サアけふ一日でどれだけ採取できるかしらねえ。ホホホヽヽヽヽ」
僕は恐怖におのゝき、その恐怖によつてあろうことか更に昂奮してしまふのでした。(続)